2008年6月25日水曜日

くらえ、

ここ最近えもいわれぬ吐き気に見舞われており、
本日かなりグロッキー。

げろーっ 節々も痛いし、
熱出るか。
出るのか、熱。

今週末は内緒で東京行こうと思ってるのにさー!

今日は誰に対しても眉間に皺をよせたまま

「あん?(怒)」
という態度。八つ裂き。

超不機嫌な態度だったな。スマセンっ。

2008年6月20日金曜日

甘いのか、水 

蛍が、近所によく出るので、毎年見に。

今年も行った。
結構飛んでたけど、去年のほうが多かったような。
雨が少なかったせいか。
時期が遅かったせいか。
それでも軽く数百匹はぴかぴかと光っていたけど。

今日の雨でまたいなくなりそう。
すぐ捕まえられるドンくさい蛍という虫は、
また卵を残して死んでしまう。

来年見る蛍は今年の卵。
頑張って生まれてくれ。

来年も見に行くから。

2008年6月18日水曜日

砂漠、サイ


サバクサイ。

本日持って行った弁当の、
焼き鯖寿司。
脂がのっていて、
包んでいた弁当包みがしっとり。

ぎえー。

鞄に染み込んだら大変。
サバクサイ女。
サバオンナ。
略してサバンナ。

鯖寿司しか食べなかったから吐く息も鯖っぽい。

すれ違うたびに生臭く、すっぱく。

小花柄の男~鯖寿司臭い女~
全くもって笑えない。
ヒー。

2008年6月13日金曜日

境目

最近買った2枚のCDを御紹介。

両者ライブにて、購入。


上のほうが長野友美さん。
透けるような音を出す人で、
じんわーーーり、と響いてくる。

出身地の佐世保の風景が
ふわーーーっと浮かんできて、
「染みる。」という表現がぴったり。しっとりしてる。
このジャケの絵も好き。古代遺跡のようで。


タイトル曲の「何もない日々」というのが、好き。
とてもとても丁寧な演奏なので、ぜひ、見習わなければ。



下のほうは、先日初ワンマンだったカルガモネンドさん。
なんというか、非常に、長野さんとは対極にある人々、三人組。



知らない人に説明するとすれば・・・

声は、和田アキ子がメタル系のシャウト。
サウンドは、歌謡曲とロックンロールのマーブル。
見た目は、イヤミと宝塚を足して2で割らない。



「中央線茜色行」が今は一番好きかしら。
スバラシイ。



どっちもオススメ!
皆様、よろしければ、ライブやCDを。













音楽ジャンルなんかどっかに飛んでってしまえ!

2008年6月9日月曜日

わからん屋

7日土曜日はわからん屋にて、ライブだった。



1.ある日の夢
2.空白
3.ウラ
4.たまごの世界
5.私がいたことを
6.宙(そら)に降る雨
7.小花柄の男



共演の方々、私と全く違った感じで、さわやか元気いっぱい+渋っ!
というような。
本当に、出るところによって、いろんな共演の方のカラーがあって、興味深い。

「この人は何を考えながらこの曲を作ってるんだろうか・・・。」
弾き語りではダイレクトに色々と出てくるので。

でもバンドとの対バンもしてみたいな。

次回は7月5日。
ちょいとあくけど、ぜひ。
もう一曲のほうも、できてるかな。この頃には。

2008年6月5日木曜日

好きじゃない

今週末、というか、もう明後日は、ライブ。
京都の木屋町の六角の角。 わからん屋。
地下鉄の京都市役所前か三条京阪が最寄の駅かと思います。
7時過ぎくらいに開始と思われ、
前売り1000円。当日1200円なので、
当日藤子の告知を見ました、って言ってもらったら
前売りで入れるようにしますので、よろしくッス。

梅雨入りしたな~
おおっと「つゆいり」で変換したら「入梅」と出てきた。
これって「いりうめ」としか読めないッス。
むしろ「うめいり」って読んでしまいそうだな。飴みたい。
…雨みたい

…!
いやいやいやんなわけねーってばね。

そこらここらで紫陽花咲いてる。
前に母親が
「昔は丸い紫陽花が好きやったけど、
最近は額紫陽花が好きやわ~」と、言っておって、
紫色が特に好きじゃなかった私は、
どっちもどっち…てな具合だった。

今は、紫色かなり好きで、
ああ、人の好みは変わっていくものだな~と。

私のライブや曲を、ひいては私を、好きじゃない人も、
ライブに毎回しつこくきたらちょびっと好きになるかも。ちょびっと。
ちょびっと…。

いや、ライブに来てほしいなってことです。

2008年6月4日水曜日

生きてる

知人のお父さんが亡くなった。
先日かつての同級生のお母さんがなくなったというのを聞いたばかり。
自分もそういう歳になってきたのかと実感するとともに、
やっぱり、人が死ぬ、っていうことは嫌なものだな、と。

その辛さはきっと本人にしかわからないから
なんと言ってあげたら良いのか、
私がその立場だったら何か言ってもらうことを望むだろうか。
強くならざるを得ない状況で。

何度か葬儀に立ち会ったことがあるが、
火葬場もシステマティックになってしまって、
遺体に火をつける最後のボタンは一番故人に近しい人が押す。
これが、なんとも酷で、
どんなに親しくない人の葬儀でもそんな瞬間を目の当たりにすると
心中察してぎゅーっと苦しくなる。

私は第1子でもないし、
兄弟には子供がいることを考えると、
何か起こらない限り私がそのボタンを押すことは今後ないだろう。
私がそのボタンを押す日が来ないといい。

結婚願望が今のところ皆無に近い私、
私が死ぬとき、ボタンを押すのは誰だろう。
親にだけは私の時のボタンは押させちゃだめだな、と思う。

それとも私が死ぬとき今よりもっと別の埋葬方法になってるか・・・。

日本の法律では無理だけど、
どっか隅っこのほうに墓石なしでもいいから静かに埋めてほしいかな。

人は死んだらそれで終わり、
土に還っていくって思ってるので、
生まれ変わるとか言うのを信じられないのです。

私の体が栄養になってぐるぐると回っていけばいいと、
そういうのが普通だと思ってて。

悲しみを共有する仲間がいれば少し救われるかな。
ゆっくり悲しめない状況、
社会の喧騒に捲し立てられるみたいなのは、
本当に辛いね。そんな世の中は・・・。

ちょっと考えてしまったので、あえて書いてみた。
最近不幸があった方が読まれてたら、不謹慎な内容でごめんなさい。

2008年6月2日月曜日

ちいさなことから。


「おみやげあげるわ」とオレンジをぽんっと渡された。

なんか、なんだかすごくうれしくてね。

もらったのは「オレンジ」ではなく「心」だと思うので、

大事に食べようと、思う。

2008年6月1日日曜日

適材適所

カツテ2年ほど住んでいたところに、行ってきまして。
やっぱり、京都が落ち着くな。
土地に良いも悪いもないけれど、
そこに渦巻く空気が肌に合うかどうか、ってことで。
思うに、人間の汗腺の量が小さいときに決まったりするところを考えると、あまり多くの距離を移動するようには出来てないんじゃないかなあ。それとも、単に私の順応能力が低いだけか・・・。
とにかく、この京都のしめっぽーい、
中心街でもどこか田舎くさーい、
昭和は当然、明治さえ引きずってるような、
なんだか古いのか新しいのか、
硬いのか柔らかいのか、
敷居が高いのか低いのか、

カオスの中にも、微妙なバランス感が働いてるように見受けられ。そ
の独特さが故、なじめない人もいるようだけど。

ここに自分の骨を埋めることが、最終的な私の幸せなのではないか、
と思うことがある、ということです。