2016年4月1日金曜日

DoRED君


いつも橋の上で歌っている
ひとりのうたうたい。



暑い日も
寒い日も



目の前の人が大勢通り過ぎて無視され続けても



マイクを立てて、
騒がしい世の中のことなんてしりません、とばかりに
淡々と歌い続ける男。




DoREDくん。




くん、と呼んでいいのか、年上だったような。




何年か前から、
何度かネガポジで共演したアーティスト。




ネガポジにはその頃ブッキングを行う人が3人いて、
それぞれの名前を冠した「〜ファミリー」などとよばれてた。




その頃店長だった、
今は飲食店をきりもりしている高相さんファミリーとして
私とDoRED君は出演していたものだから、
たくさんいるネガポジ出演者の中で
割と多く対バンになった。




多分私は彼にはなんとも思われていなかっただろうし、
それほど話をしたことがあるわけでもなかったけど、
お客さん同士としてもよく出会った気がする。




路上で歌っているのは知っていた。
その頃はあまりその辺りを通ることもなかったが、
わからん屋で働くようになってから三条大橋の上で歌っているのに何度か出くわし、
会釈をするようなこともあった。





でもある日を境にぱたっと見なくなった。






少し寂しい気分になったのだけど、
何か事情があるのかと思った。
少し寂しい気分になったのは、京都の川のある風景と
彼の歌声が妙にマッチしていたからかもしれない。






ところがある日、彼が歌っているのを見かけた。




彼のステージは四条大橋に移動していた。




三条通りよりさらに人通りが多くなり、
より人の質も業務的に往来するような景色とのコントラストに
すごく胸がざわざわした。






今日も彼はいた。
四条に移動してから見かける時は私はもっぱらバスの中にいる。
大抵考え事をしている時に入り込んでくる。




はっ とおもって窓の外を思わず見る。




ネガポジにいる時に聴くのとはまったく違う。
自分がいつもそこを通る時の景色と彼のコントラストが
なにか空間を歪めるような対比になって
胸がぎゅーとなってたまらなくなった。




純粋なる感動と
自分への後ろめたさが混ざったような感覚。
声は少しずつ小さくなって聞こえなくなった頃には
いつもの祇園の景色になっていた。










次に歩いて通る時に出会ったら
必ずCDを買うと決めている。

















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